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〒938-0801 富山県黒部市荻生2711

年間の法要について

修正会(しゅしょうえ)

 お正月といえば神社などへ初詣に行ったりするのが元旦の日本人の習慣のようにいわれていますが、仏教寺院では元旦の仏事 「修正会(しゅしょうえ)」が行われます。「修正月会」を略して「修正会」といいます。

 これは中国の年始の儀式が日本に伝わったもので、前の年の悪を正して新年の天下泰平などを祈る法会として奈良時代初めから国家規模で各大寺で行われて広がりました。

 修正会も各宗派によりその行われる意味や内容は違いますが、
浄土真宗の修正会の意味や真宗門徒としての元旦の迎え方は、次のような言葉がそれをよく表していると思います。

「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏申さるべし」(「蓮如上人御一代記聞書 本」より)

 これは明応2年の元日、道徳という蓮如上人のお弟子さんが上人に新年の挨拶に来た時に、上人から掛けられた言葉と伝えられています。

 昔は年齢を数え年で数えていたので元旦は皆が一つずつ年をとるという日でもありました。そこで蓮如上人は道徳にあなたはこれで何歳になったかと尋ねて次に「念仏申さるべし」と自力の念仏と他力の念仏の違いを改めて道徳に説いたということです。

 浄土真宗の修正会は初詣のように寺にお参りをして何か願い事を叶えようという所ではありません。家内安全・交通安全・合格祈願をお念仏でお願いしても実際何もありません。
でもその様な目先の願望やまざまな出来事にいつも右往左往して私たちは自分の「本当の願い」を見失って生きている。そうして生きていかざる得ない私の目を絶えず覚まさせるようとするはたらきがお念仏となって私たちの所まで伝えられてきたということを浄土真宗は教えています。

 最近はお正月も昔ほど特別な時期ではなくなってきているような気がしますが、それでも1月1日は新しい年を迎えた希望や目標や願いをもって迎える人が多いことでしょう。
浄土真宗の教えを聞く門徒のお正月は、家庭のお内仏のお勤めや寺の修正会などに足を運び法話を聞くことで今年もお念仏と共に聞法の生活をしていくことが皆で確認されてきた時期なのではないでしょうか。

浄土真宗の元旦のむかえ方

 真宗門徒の元旦は家族で家のお内仏に新年のお勤めをし、また手次寺の修正会に足を運び本尊の前でお念仏を唱える。また法話を聞き改めて聞法に励むことを皆で確かめ合う仏事です。蓮如上人の「念仏申さるべし」という新年の言葉の通りです。

 浄土真宗ではお内仏にお鏡餅はお飾りしますが、しめ縄や門松などは用いません。
 年末はお正月の準備や大掃除などで忙しい時期ですが、是非おうちのお内仏もできる限りの範囲でお掃除をしましょう。そして上卓・前卓に三角の打敷(うちしき)を掛けてお鏡餅をお供えします。お花も松の枝や千両など正月らしいものを混ぜてもいいでしょう。
 そして、元旦にはお内仏の前で正信偈(しょうしんげ)などいつものお勤めをして、また手次の寺の修正会にお参りをして心新たに聞法生活ををスタートさせましょう。

御正忌(ごしょうき)

 親鸞聖人のご命日である弘長2年11月28日(旧暦)は、現在の暦では1263年1月16日であり、毎年1月9日から16日までご本山である西本願寺では御正忌報恩講をお勤めしておられます。
 稱名寺でも、宗祖のご命日というご法縁をとおし、聖人のご恩をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをあらためて心に深く味わわせていただく法要をおこなっております。


春季・秋季彼岸会(しゅんき・しゅうきひがんえ)

 インドにも中国にもなく、日本で始められた仏教行事の代表的なものに、春秋2回のお彼岸があります。

 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、春の彼岸を迎える頃になるときびしかった冬にも別れを告げ、花の咲き競う春がきて、みどりさわやかな初夏にむかいます。
 秋の彼岸になれば猛暑もおさまり、やがて秋も深まってゆきます。四季の変化に富む日本で、この春秋の彼岸の好季節をえらんで、仏道修行の時期と定めて仏事が行われていることは、本当に意義の深いことであります。



 「彼岸会」は春分と秋分の日を中日として、前後の3日ずつ7日の間に行われる法会で、この行事は日本だけに見られるもので、聖徳太子の頃より始まったともいわれていますが、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したといわれています。また一般の信者はこの間、お寺まいりやお墓まいりをするのが習慣となりました。私たちの浄土真宗では、蓮如上人までは彼岸会は行われていなかったようですが、上人59歳の文明5年(1473)に吉崎ご坊で彼岸会を修したことが『御文章』に書かれております。

 それ以後、今日に至るまで本願寺では絶えることなく、年中行事として彼岸会7日間の法要がつとめられております。

 もともと「彼岸」とは季節をあらわす言葉ではなく、「お浄土」をあらわす仏教用語であります。生命を始めとしてすべてに限りがあり、苦悩にみちたこの現実の世界の「此岸」から、阿弥陀如来のはかりない無量のいのち(寿)と智慧につらぬかれた永遠の安楽国土である「彼岸」のお浄土を渇仰し、いのち終わればそこに生まれることを願うのが彼岸会の本来の意味であります。

 私たちはお彼岸を迎えるにあたり、お浄土に想いをはせ、春は阿弥陀如来に救いとられていった多くの念仏者やご先祖をしのび、お念仏の人生のたしかさ、たのもしさをあらためてあじわいたいものであります。

永代経法要(えいたいきょうほうよう)

 永代経は、故人の命日ごとに永代に経を読むことを言います。
ですが、ただ読むというわけではありません。
 お経を読むことで仏縁を繋ぐのです。
 いままであまり仏教に縁の無かった人が、故人を縁として、仏法に触れる機会にも成り得るのです。
 そしてその、法を聞く宗教空間としてお寺があります。
 お寺という、非日常の空間を通し、故人を縁として、自分だけではなく、後の世代も仏縁に出遇うことを願うこと。
 このことが永代経の意義だと言えるでしょう。
 「永代経」とは上でも説明したように、永代(末永く)に経を読まれるという事なのです。ですので、永代経法要とは、そのための法要ということになります。

 つまり、故人をしのび、「み教えが永代に伝わるように」とういう願いを持って勤められる法要です。
 同時に「子や孫にわたってみ教えを聞く喜ぶこと」を願って勤める法要という事になります。
 中国唐時代初期の僧で、浄土真宗で言う七高僧の一人、道綽禅師は、その著『安楽集』の中でこのような言葉を残しています。

   前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ

 この言葉は、親鸞聖人も、『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』の終わりに引用されており、
意味は、

  「前(まえ)に生れるものは後(あと)のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、果て    しなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残
   らず救われるためである」
                                   (現代語版聖典『教行信証』)

ということです。
 仏教でも何でもそうですが、大切なことは、先代から、私、私から後の世代へと伝わっています。
末永く経が読まれることで、後の代へも仏縁が続くものです。

 そうして、末永く永代に子どもや孫の代やもっと後の代にまで、仏法が届けばと思います。


暁天講座(ぎょうてんこうざ)

 「暁天(ぎょうてん)」とは「明け方の空」という意味で、この暁天講座はその名のとおり、早朝より始まる講座であります。
朝早の開講ではありますが、清らかで、凛とした空気のなか、本山御影堂にて毎回数多くの方々が受講されます。心洗われるようなこの暁天講座への御参拝をお待ちしております。

盂蘭盆会(うらぼんえ)

 「お盆」とは、正しくは「盂蘭盆会」(うらぼんえ)といい、また浄土真宗では「歓喜会」(かんぎえ)ともいいます。お釈迦様のお説きなった「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」という教えがもととなっています。

 お釈迦様のお弟子様であった目連尊者が、亡くなった母を餓鬼道という苦しみの世界から救い出すお話が説かれています。そのお話を通して、他の誰かではなく、私自身が仏法を聴き、浄土へ生まれる真実の教えに目覚めていくことが浄土真宗のお盆の本当の意味なのです。

 そして、尊い仏さまとなられた亡き人を偲ぶとともに、故人に導かれて我々の日常の生き方を省み、命の尊さや、欲を離れた施しの大切さを考える期間でもあります。

 本当は毎日そのような命や施しの大切さを考えるべきなのでしょうが、なかなかできないのが私たち。ですから「せめてお盆の間ぐらいは考えましょう」と設けられたのがお盆の行事なのです。

 昔から「せめてお盆の間ぐらいは殺生するな」と言われてきたのもそのような意味からです。

戦没者追悼法要(せんぼつしゃついとうほうよう)

 悲惨な戦争を再び繰り返してはならないという平和への決意を確認するため、法要をおこなっております。
 いのちの尊さ、非戦・平和の大切さを次世代に語り伝えてゆくためにも、皆様お誘い合わせの上、ご参拝ください。

報恩講(ほうおんこう)

 報恩講は宗祖親鸞聖人のご恩をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをあらためて心に深く味わわせていただく法要です。
 親鸞聖人ご在世当時、お念仏を喜ぶ人びとの間では、師源空(法然)聖人のご命日に「二十五日のお念仏」として念仏の集会がつとまっていました。
 親鸞聖人ご往生の後、聖人を祖と仰ぐ私たちの先達は、それを親鸞聖人のご命日にあらため、ご法縁にあずかっていたのです。その後、親鸞聖人の33回忌にあたり、本願寺第3代覚如上人はそのご遺徳を讚仰するために『報恩講私記』をつくられ、報恩講がいとなまれました。以来、聖人のご命日の法要は報恩講として大切にお勤めしています。

 本願寺第8代蓮如上人がお示しのとおり、正しくお念仏のいわれを聞かせていただき、身にいただいて、真実信心の行者になることが聖人のご恩に報いる道です。


前々住職御祥月

第二十二代稱名寺住職
樹心院釋正雄 御祥月
國香 正雄(くにか まさお)
・生年月日  明治29年10月8日生
・往生年月日 昭和46年11月24日往生
・享年    満75歳
・主な事業  昭和4年 経堂建立
       昭和12年 庫裡建設
       昭和14年 御殿建立



住職御祥月

第二十三代稱名寺住職
樹想院釋正道 御祥月
國香 正道(くにか しょうどう)
・生年月日  大正15年7月2日生
・往生年月日 平成20年11月25日往生
・享年    満82歳
・主な事業  昭和58年 稱名寺歴史集録 編纂・出版
       平成4年 門信徒会館建設



前坊守御祥月

第二十二代稱名寺坊守
樹香院釋尼貞誠 御祥月
國香 友枝(くにか ともえ)
・生年月日  明治35年9月25日生
・往生年月日 昭和52年12月15日往生
・享年    満75歳
・生家    上市町円徳寺


第二十一代住職御祥月

第二十一代稱名寺住職 御祥月

除夜会(じょやえ)

 除夜会は1年間を振り返り、お心静かに新年を迎えるお勤めです。
 稱名寺では、お勤めの後、本堂にて受付をしていただいた後に、鐘楼にてお1人ずつ鐘突きをとりおこなっております。
 皆様お誘い合わせの上、ご参拝ください。




バナースペース

浄土真宗本願寺派
含暉山稱名寺
(がんきざんしょうみょうじ)

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